どうして、つぐないをしないといけないのよ?!
来週の老人ホームでリクエストされている曲はテレサテンさんの「つぐない」です。
私は気乗りしなかったので今まで放置してたけど、もう春も終わるので今度の日曜日に演奏することに。
昔、クラブでバイトでエレクトーンを弾いていた時にリクエストされた曲です。
滅法羽振りのよいおじさまで、リクエストに応えると法外なお祝儀をくれていました。
就職浪人をしていた私はこのお祝儀でどれ程助かったことか。
おじさまはコネをつけてくれ就職も出来た大恩人でもあります。
でも、なぜかリクエストしてくれる曲はみな私には辛い曲ばかり。
「Love is over」「つぐない」「悲しい酒」なんか。
yukiちゃんは、「つぐない」がぴったりだなんて。
私は何も、つつぐないをしないといけないことはしていませんわよ。念のため。
久しぶりに弾いてみたので聴いてみてください。
https://www.youtube.com/watch?v=OuzSOlL77F0
まだまだ練習が足りません。これから弾き込みます。
いくら肉食系でも姉御は食えないよ
昨夜は新入社員2人の歓迎会でした。
歓迎会の場所は私たちのたまり場になっている新橋の小料理屋です。
ママは山形のでで、郷土料理を出してくれるから、一人暮らしの男の子や女の子に好かれていてみんなお母さんの手作り感覚を味わっています。
昨夜は盛り上がりました。新入社員はそっちのけにして無礼講です。
騒ぎ足りないのか、例によって2次会です。
私は幹事にいくらか包んで、そっと失礼しました。
ところが新橋の駅に向かって歩いていると、一人跡をつけて来る。見たらK君です。
「あーら、2次会じゃなかったの?」と訊くと。
「ちょっとNさんに相談があって」と深刻な顔をしている。
困るわ、とも言えず、「歩きながら訊きましょうか」と私。
「四谷に僕の行きつけの店があるので、そこにいきましょうか? 構いませんか?」だって。
新人は入社2ヶ月くらいで仕事が嫌になり辞める人が多いのです。
話を聞いて上げないと後悔することになるかも、と私は「いいわよ」と頷きました。
K君が案内してくれたのは四谷駅から徒歩5分のところにあるパブでした。
入ってびっくり、ここは歌声喫茶かと思うくらい若者達が声を張り上げている。
怪しいお店ではないので私は安心しました。
「今、ピアノで伴奏しているのは神父さんです」とK君、
K君はここにある大学の卒業生でした。
ミッション系の大学で、このパブはその学生と職員のたまり場になっているそう。
K君は知った顔が沢山いて、直ぐに仲間達と歌い始める。
私もまんざら悪い気分ではない。ハイボールをオーダーしていい気持ちになりました。
私にもマイクが渡されたけど、勿論固辞しました。
肝心のK君の悩みは、何じゃらほい、と気になりK君をつつくと「もう一軒僕のお気に入りの店があります」と歩いて新宿3丁目に向かう。
新宿3丁目というと、あのオカマ達の街です。
さてはK君はそっちの気があるのかしら、なんて好奇心が沸きついて行きました。
でもK君のお店は普通のスナックでした。
ここでもK君はモテモテです。
私も久しぶりのハシゴ酒です。
馬鹿になり、ホステスさん達と話に花を咲かせました。K君は私のことはほったらかしです。
私は時間が気になりだしたので、もう帰ろうというと「そうですか。なら新宿の駅まで送ります」だって。
「結構よ、君、まだ飲み足りないのでしょう?}
と未練らしく私をトロンとした目で見ているK君をふり切ってお店を後にしました。
電車の中で考えて「もしかしたら、あのガキは私に相談なんかなく、口説きたかったのかな?」なんて。
あそこはラブホテルだらけです。
危ない危ない、なんて思うのは考え過ぎか。
エンジェル エンジェル エンジェル
小説の紹介です。
梨木香歩著「エンジェル エンジェル エンジェル」
ストーリーのダイジェストです。
こうこ(孝子?)は高校生。
こうこは両親とお姉さんのようなお手伝いさんの4人暮らし。
こうこは、コーヒー依存症で情緒不安定な女の子です。
ある日、叔父夫婦がアメリカに行くことになり、両親は祖母を引き取ることにする。
で、5人暮らしになる。
こうこは前から熱帯魚を飼いたいという希望を持っていた。
母親は祖母の面倒を見る、という条件でしぶしぶそれを許すのだった。
こうこは2匹のエンジェル・フィッシュと5匹のテトラ・フィッシュを買ってきて、念願の熱帯魚を家族に加えた生活を始める。
こうこは兄弟がいない寂しさから、熱帯魚が欲しかったのだけど、彼女は引きこもりではない。
学校では一つのグループを率いる遣り手の女の子だった。
熱帯魚の飼育は、認知症の祖母によい影響を与えて、こうこ達の生活は純風満帆に思えた。
ところが、その熱帯魚が思わぬ事件を起こしてしまう。
最初、読み始めた時には、「西の魔女が死んだ」を思わせる中学生向きの小説かなと軽く思ったけど、どうして、どうして深いのです。
この一家はクリスチャンで、こうこもミッションスクールに通う高校生。
つまり、かなり敬虔なクリスチャンの家族なのです。
生き物の生と死、など宗教観が絡んでいます。天使には悪魔を必要とするなど、難しいのです。
「エンジェル・フィッシュ」は果たして「天使の魚」?
悪魔は、こうこの心にも住んでいた。誰の心にでも住んでいるのです。
でも何となく、心温まるハッピーエンドなので、安心して読めます。
「西の魔女が死んだ」とはまるで違う大人向きの小説でした。
お勧め度★★★★☆
クレーマーおばさんには降参
1昨日の日記です。
会社の仲間の一人が引っ越しをしました。
東京の光が丘公団住宅を出て、私の隣町の浦和の一戸建ちに越したのです。
お手伝いは二手に分かれて私は光が丘の追い出し組のリーダーに。といっても引っ越し業者がすべてしてくれるから特にすることはない。
忘れ物はないかとかのチェック、お昼のお弁当を買いに行くくらいです。
お昼のお弁当を食べ終わって最後の荷物の積み込みをしていた一人が上がってきて、困ったという顔をして私に。
公団にはゴミ集積所があります。燃えるゴミ、不燃物とかプラ製品とか細かく区分された置き場があります。
業者の方が、そこの不要品置き場に小さな丸テーブルを出したところ、団地のゴミ管理人のおばさんからダメ出しが出たという。
私の出番ですね。
9階から降りて行ってみると、いかにも団地の顔役みたいな厳しそうなおばさんが引っ越し業者の前で仁王立ちしている。
私は恐る恐る、「大変お世話になっています」と礼を尽くして、「何か問題でも」と聴きました。
「あなたが責任者ですか? キチンとゴミ出しの注意書きは読みましたか」と。
「ハイ」とワタクシ。
「これはいけないでしょう。ちゃんと規則は守って貰わないと困ります」と目は睨んだまま。
「このテーブルが問題なんですね。高さは1mないし、テーブルの直径も90cm未満だから、OKですね」と私。
「嘘でしょう。計って見て」と、まだ私を睨んでいる。
私は心の中でにんまり。
私は持っていた巻き尺で計りました。
「よく見てください。88cmですね」と。
おばさまは何か、「終わったら、キチンと掃除して置きなさい」みたいな捨て台詞を吐いて逃げるように立ち去りました。私はジュースを渡すつもりでいたけど、やめました」
インチキ宗教に殺された
その日、学校から帰って来ると家の前に人だかりが。知ってる顔の近所のおばさんが、「おじいちゃまが大変!」と。救急車が来て病院に運ばれて行ったと、教えてくれました。
どうしたものかと、オロオロしてたらその内、二つ上の兄も帰ってきて、二人で病院に走りました。
病院には母と、診療室の看護婦さんとがいたけど、祖父は集中治療室に運ばれたきりで会えないと。
その夜遅く大阪から駆けつけてきた父も加わっておろおろするばかりの夜を過ごしました。
明け方に祖父は目を覚ますことなく息を引き取りました。
脳溢血、脳梗塞だったそうで意識を取り戻すことはなかったのです。
父も母も看取ることは出来ませんでした。
あんなに元気だった祖父の死が信じられなく、私は悲しむ余裕もなく呆然自失状態でした。
後に、看護婦さんから当日の出来事を詳しく聞いて私たちは何が起きたのかを知ったのです。
祖父は診療中に患者と口論になり、その患者を追い返した後、気分が悪いから少し休憩するといって隣の自宅に帰ったそう。
次の患者が待っているし、30分経っても帰って来ないから心配した看護婦さんは様子を見に来たのです。
前に書いたように祖父は宗教に関心を持っていたから宗教に関する講演があると、その度に聞きに行っていて、祖父のことは有名になってたのですね。
そうでなくてもいろいろな新興宗教の勧誘に悩まされていて、祖父は迷惑を受けていたのです。
大抵は母が勧誘者と応対というか玄関払いしていて祖父が応対することはなかったけど、母から聞いて怒っていました。
その悪質な新興宗教の勧誘者は、患者の振りをして祖父に面会し、祖父と口論になったのです。
普段から血圧が高かった祖父はその偽患者を追い返した後、気分が悪くなり自宅に休憩しに行ったのでした。
次の患者を待たせていて、なかなか帰って来ない祖父を心配した看護婦さんが様子を見に来て、自室のロッキングチェアに座ったまま顔を伏せている祖父を見つけ、異変に気づき救急車を呼んだのでした。
私は宗教すべてが悪いとは思っていません。
でも、インチキな新興宗教は心の底から憎みます。
オウムは論外ですね。
韓国に本部を置く統一教会や、歪んだキリスト教を名乗る新興宗教とか、あまりにも多くのインチキ宗教がこの日本にはびこっていて私たちに害を与えています。
祖父は言っていました。みんな布教の名のもとに人の財産をむしる黴菌みたいな輩だと。
祖父はその黴菌に殺されたのだと思っています。
私のおじいちゃん
今、実家の以前祖父が暮らしていた部屋でPCに向かっています。
昔懐かしい祖父の部屋は今も昔も変わりません。
大きな書棚は医学書とその他の蔵書がぎっしり。
そして大きなスピーカーボックスに挟まれてオーディオセットが。
更に壁一面にはLPレコードが飾られたラックが。
祖父が亡くなっても誰も手をつけずそのままにしてあるのです。
祖父は街の開業医でした。
祖父は密かに、街の赤ひげ先生と呼ばれていたそう。
でも近くに大きな病院ができてからは、患者は減って行き、風邪引きや、病院から見放された末期のお年寄りが中心になり、がくんと減りました。
患者が減って楽になったとおじいちゃんは言ってたけど、楽にはなりませんでした。
寝たきりになり、死を待つのみの病人を往診するのは楽ではありません。
看護婦は一人いたけど、車の運転ができないので、母が運転手と看護婦になって往診するのです。
なので祖父も母もお酒は飲めませんでした。
祖父の仕事はそれ以外に警察から委託された検死がありました。
田舎町だから殺人事件は滅多にないけど、自殺や変死はあります。
その度に祖父は出向いていました。
祖父は病院から帰された患者を診るようになってからは医術とは関係ない心の病と向き合うようになりました。
死を前にした患者には医学は役に立たず、宗教が必要だったのです。
今、書棚を見てもたくさんの宗教書が並んでいます。
そんな宗教書を祖父は読み漁っていたのですね。
それは特定の宗教のものでなくあらゆる宗教のものでした。
読書に疲れると、音楽を聴いていました。
難しい患者の往診から帰ってきても自室にこもりレコードを聴くのです。その時、祖父の部屋に入れるのは幼児の私だけでした。
私はちょこんと祖父の隣に座り、音楽を聴くのです。
祖 父のレコードのコレクションはクラシックから当時の洋楽すべてのジャンルに渡っていました。
そのお陰で私は音楽人(ミュー人)になったのです。
父が単身赴任していた間は祖父は父親代わりでもありました。
私も祖父が父親役をしていても違和感はありませんでした。
祖父の苦悩を別にすると、平和な日々が続いていたけど、突然にその日がやってきたのです。
この先はこの部屋では書けません。
続きは自宅に帰ってからにします。