私のおじいちゃん
今、実家の以前祖父が暮らしていた部屋でPCに向かっています。
昔懐かしい祖父の部屋は今も昔も変わりません。
大きな書棚は医学書とその他の蔵書がぎっしり。
そして大きなスピーカーボックスに挟まれてオーディオセットが。
更に壁一面にはLPレコードが飾られたラックが。
祖父が亡くなっても誰も手をつけずそのままにしてあるのです。
祖父は街の開業医でした。
祖父は密かに、街の赤ひげ先生と呼ばれていたそう。
でも近くに大きな病院ができてからは、患者は減って行き、風邪引きや、病院から見放された末期のお年寄りが中心になり、がくんと減りました。
患者が減って楽になったとおじいちゃんは言ってたけど、楽にはなりませんでした。
寝たきりになり、死を待つのみの病人を往診するのは楽ではありません。
看護婦は一人いたけど、車の運転ができないので、母が運転手と看護婦になって往診するのです。
なので祖父も母もお酒は飲めませんでした。
祖父の仕事はそれ以外に警察から委託された検死がありました。
田舎町だから殺人事件は滅多にないけど、自殺や変死はあります。
その度に祖父は出向いていました。
祖父は病院から帰された患者を診るようになってからは医術とは関係ない心の病と向き合うようになりました。
死を前にした患者には医学は役に立たず、宗教が必要だったのです。
今、書棚を見てもたくさんの宗教書が並んでいます。
そんな宗教書を祖父は読み漁っていたのですね。
それは特定の宗教のものでなくあらゆる宗教のものでした。
読書に疲れると、音楽を聴いていました。
難しい患者の往診から帰ってきても自室にこもりレコードを聴くのです。その時、祖父の部屋に入れるのは幼児の私だけでした。
私はちょこんと祖父の隣に座り、音楽を聴くのです。
祖 父のレコードのコレクションはクラシックから当時の洋楽すべてのジャンルに渡っていました。
そのお陰で私は音楽人(ミュー人)になったのです。
父が単身赴任していた間は祖父は父親代わりでもありました。
私も祖父が父親役をしていても違和感はありませんでした。
祖父の苦悩を別にすると、平和な日々が続いていたけど、突然にその日がやってきたのです。
この先はこの部屋では書けません。
続きは自宅に帰ってからにします。