ゆきんこの徒然日記

日々の出来事や思ったことを日記にして書いています。エッセイも時々書きます。

私は、FaceBookの幽霊会員?

FaceBook(以下FB)は世界最大のSNSですね。
10年前に鳴り物入りで登場したFBですが、今は斜陽です。
日本のFB加入者は約2千万人だそうです。
でも実際にFBを利用している人となるとどれくらいいるのか、疑問です。
私もその幽霊会員みたいなものです。


私が加入したのは5年くらい前です。
FBのうたい文句に惹かれたのです。Realな友人や仲間が増えるし、親戚や同窓生達と再会が出来、交流が出来ると。
私は飛びつきました。
最大の目的は私の趣味のエレクトーン仲間が世界規模で出来ること。エレクトーンでなくてもいい電子オルガンでいいのです。
その上、卒業以来会ってない同窓生達と交流が出来るとすればこんな素敵なSNSはないと。
でも現実はどうだったか?
まず勝手が違ったのは趣味とかのコミュがないこと。
だからエレクトーンのコミュなんか作れないのです。
では友人や親戚づきあいの役に立ったか?


ノーです。リアルな友人や親戚とは既にメールなんかでコミュは出来ています。
今更FBで交流を呼びかけても応える人は殆どいなかったのです。

で、出来た友人は他のSNSと同じようにバーチャルな人達ばかりになりました。
でもそれはそれで楽しかったのです。
遠くはトルコ、ブラジルの女性と友達になり興味深く交流できました。


FBはリスクが大きいと言われています。
それは分かっていました。
実名登録で写真を載せることが絶対条件です。
私もこれには抵抗がありました。
でも同窓生に私を見つけて貰うのに必要だから納得しました。同姓同名はわんさといるから識別には写真は必要ですね。


でもこれがため日本ではストーカー殺人事件が起きたのは皆さんご承知の通りです。
私が不審に思い出したのは別のことです。
私はある商社に勤務しています。
ある日知り合いの方から、「Nさんは昨日はマニラにご出張でしたか?」と言われた時です。
隠密行動しているわけではないけど、商社マンの行動はコンペチターに知られては困るのです。
その情報元はFBにあったのです。そのからくりは長くなるから書かないけど、確かなのです。
写真を載せてもそれは何時、どこで撮ったのか分かるのです。


他社も同じだけど、社員にFB禁止令を出している会社が増えています。
私も上司から自粛するように言われました。
エレクトーン仲間の一人はある機械メーカーの部長だったけど、私に先駆けて退会しました。
仕事のこと、生活日記を書かなければSNSは無意味になります。その上リスクに怯えていては何のためなのか分からない。


それである日退会手続きしました。
ところが退会手続きは簡単ではない。
やっとこさ、アカウントの削除に成功したのだけど、数日おいて不思議なことに私のFBは復活してたのです。
なので私はまだFBを続けていることになっています。

私はFBの幽霊会員です。

 

 

ラッフルズホテルにて

   彼(今の主人)と出会ったのはシンガポールでした。
 当時、私はITの仕事をしていて、チャンギ国際空港の仕事でシンガポールに長期で出張していました。

  彼は商社マンでシンガポールの駐在員。
  最初にデートしたのが、かの有名なラッフルズホテル
  格式の高いホテルです。

 

  私は出張中の身だったから、正装なんか出来ません。
  何とか恰好のつくブラウスを買って、泊まっているホテルのコンセルジュに見て貰って、合格点を貰い、ラッフルズへ。

 

  ラッフルズホテルはイギリスの著名な作家で「月と六ペンス」を書いたサマセットモームが逗留していたことでも有名です。
  こんな高級なホテルでのディナーは始めて。

  しかも初デート、私は衣装も靴も自信がなく他のお客の目は私に集中しているような気がしてどぎまぎしていました。


  彼は何とか、私の気持ちをほぐそうと気を遣ってくれていたのが嬉しかった。

  緊張のあまりか催してきて、席を立ち、廊下に出ました。
  キョロキョロしたけど、お手洗いが分からない。
  何人かいたけど、一番近くにいた使用人らしいおじさんに訊いたの。

 多少英会話は出来るけど、ここは元イギリスの植民地です。クイーンイングッリッシュを使わねば、と。

  「What should I do if I go to the restroom?(お手洗いはどう行けばいいですか?)」と。
  するとおじさんは、目をクリクリさせて、私の顔をまじまじと見て、
  「ン? オシッコシタイノネ」

  大声だよ。周りに聞こえたか聞こえなかった分からないけど、真っ赤になっちゃった。
  「マッスグイッテ、ツキアタリをヒダリネ」だって。
  日本語じゃん。

 

  英語は出来る方がいいけど、片言のブロークンでもいいのね。
  それから私はかなり大胆になったと思います。

 

いや~なOLさん

 今、岡山に来ています。
 泊まっているのは、ネットで検索して予約したビジネスホテル。
 今日の仕事が終わって、オフの時間なのに、ホテルの外には一歩も出られません。
 夕方近く、ここにチェックインして、夕食がてら街を散策しようと外へ出たら、道の角かどに白服のお兄さんや、赤いドレスの女性達が立っている。


 その正体はよく分からないけど、怪しいし、気味が悪い。
 恐いから、ホテルに戻って食事することに。
 ホテル内にはレストランはなく、尋ねたら、隣の割烹がレストラン代わりだと。
 この割烹にはフロントから通路を通って行ける。
 こじんまりした造りの小料理屋という感じ。


 女将がカウンター席へ案内してくれた。
 お座敷もいくつかあるけど、お一人さまだからカウンター席で十分。
 メニウは会席料理だけ。
 5千円と7千円と1万円の3種類のみ。
 出張旅費では赤字だね。
 でも仕方ない。5千円の会席にした。


 お酒も、えい、と灘の生一本を。
 女将のお酌で、付きだしで飲んでいると、女将が、
 「慣れた手つきですね」とお世辞を。
 「美味しいお酒ですね。それに素敵なお猪口で、お酒が美味しいです」
 なんて会話していたら、男女のカップルが入って来た。


「あれ?」と思った。
 男性の方はさっきロビーで新聞を読んでいた50年配のおじさま。
 でっぷりしていて、サラリーマンには見えない。中小企業の社長という感じ。
さっきは一人だったのに連れがいる。


 私と同じか、もう少し若い20代後半の女性。
 カップルとしては不釣り合い。如何にも通勤帰りのOLといった感じ。
 私の勘は「不倫!」と信号を発していた。
 嫌なOL。同じOLとして恥だよ。


 社長風のオジさまが仕切っていた。
 何と1万円のコースの会席です。
 常連だった。
 板さんや女将と親しげに話している。
 そして二人は恋人然と、いちゃついている。
 嫌~な感じ。


 でも、仕事後の「お疲れさま会」をしているのだと思おうとした。
 でも、OLさんがルーム・キーをバッグに入れたのを見てしまったの。
 「あ~あ、こんなホテルに泊まるのではなかった」と、後悔しているの。


 ネット検索したホテル情報だから内容までわかんなかったの。
 今、ホテルからは出られないし、何にもすることがないからネットしています。

女ドクター航海記

 大洋漁業北洋漁業船団が船医を募集していた。
  操業は北極海です。数十隻の独航船を率いる母船に来てくれる物好きな医師などいない。
  「医師の資格を持つ人なら誰でもよい」という程、会社は困っていたのです。
  この募集に応えたのは東邦大学付属病院に勤務する女性教授の田村京子さんです。


  会社側では「誰でもかまわない」といったものの、さすがに女性の応募者には困惑します。
  別に女性蔑視ではないけど、船団は荒れ狂う北方洋の中で働く荒くれ男達の集団です。
  そんな中で、内科も外科もあらゆる病や怪我に対応しないとならないドクターが必要なのだ。しかも航海は2ヶ月以上にわたるのだ。医師は孤軍奮闘になるのです。


 でも背に腹は代えられない。田村良子さんを受け入れるのだった。
  母船といえども客船ではない。あらゆる設備が女性向きでなかったから、相当な改造をして女医さんを迎えることになる。
  それでも田村さんには大変な苦労が待っていた。
  お風呂も洗濯場も専用のものを用意してくれたし、厳しい水の制限も緩和して貰うが、男達は、特別に優遇された田村さんを白い目で見るのだった。


  田村さんはそんな本来の医療行為以外に大変な経験をすることに。
  田村さんを馬鹿にしたり、無視していた独航船の荒くれ男達もやがて、田村さんの熱意と誠意に打たれ、医療行為を受けることになるし、尊敬すらしていくのです。


  2ヶ月の操業を終えて日本に帰国した船団は、解散式を行う。
  田村さんの送別会も盛大に行われ、田村さんは達成感に浸るのだった。
  荒くれ男ほど、敵愾心をもっていた者ほど、田村さんにむき出しの謝意を示すのです。
 
 私の感想です。
  今は、全員女性のデパートが出来たり、女性の社長や役員が増えたりする時代です。
今はなれない職業はない、くらい女性は各分野に進出してます。
  女子力は絶対に必要とされている時代です。
  でも田村さんが活躍したのは、昭和57年のこと。
  まだまだ職場では女性の地位は低かった頃です。
  私は読んでいて、私の辛い経験と重なる箇所が随所にあり、大変勇気づけられました。


 そしてもう一つ思ったのは、性善説です。どんなに意地悪な人でも、一皮むけば、心は優しかったりなのです。
  自分に反省すべきことや、自分を変えてみたりする必要があるのだと。
  読後にそんな事を考えていて、気持ちが明るくなった1冊でした。
  これだから、私の古書店あさりは止められない。
 

夜食のあっこちゃん

 

「夜食のあっこちゃん」は「ランチのあっこちゃん」の続きというか、第二章です。
どうしたことか、あっこちゃんの児童書の出版社は倒産してしまう。
会社が倒産すると社員は悲劇ですね。
その日から路頭に迷うことに。


でもこんな時には派遣社員はいいですね。
三智子は次の会社に派遣されて生活には困らないから。だけど、今度の会社にはあっこ女史のような素敵な上司はいない。それどころか大勢の正社員と派遣社員の中に入り、本来のOLの複雑な人間関係に悩まされることになる。


ある夜、三智子は同棲している彼氏と寝ていた時、携帯が鳴り、起こされる。
電話の主はあっこさんで、三智子は飛び起きる。
こちらからは連絡がつかなかったあっこさんだったから、三智子は飛び上がらんばかりに喜ぶ。
用件は、今外で待っているから、直ぐに来て欲しいということだった。
外には大きなワゴン車が駐まっていて、懐かしいあっこさんの姿があった。夜半過ぎです。


あっこさんは離職後、何とポトフの移動販売を起業していたのだった。
あっこさんは仕事が繁盛していて手が足りないから手伝って欲しい、というものだった。
他ならぬあっこ女史の頼みだから、三智子は二つ返事で引き受ける。
期間は1週間だけだし、OLの仕事が終わった後のことだから、無理をおして三智子は頑張ってみることにした。


あっこ女史はこの職業でも持ち前の能力を発揮していた。
移動販売車はやみくもに道路を走り回っているわけではなく、需要のあるところに狙いを定めていたのだ。
その日、三智子を乗せた車は、ある大手の新聞社の正門前に止まった。
最終版の発行準備を終えた編集者達が疲労困憊かつ空腹の状態で出てくる。そんなサラリーマン達にとってあっこの作ったポトフは最高のご馳走だったのだ。


次の日に向かったのは大きな病院だった。
深夜の勤務を終えた看護師や医師たちにとって温かいポトフは何よりのご馳走だったのです。
あっこのこの販売方法は彼女がそれまでに培ってきたノウハウを駆使したものだったのです。
あっこ女史自ら行う移動販売車は実験だったのです。


あっこ女史はうまくいくと確信できたら、フランチャイズ店を作り全国展開させようというものだったのです。

失業中も無駄に時間を費やしていなかったのです。
フランスに渡り、本場で本物のポトフ作りを修行していたのです。
そして単に手助けだけのために三智子を誘ったのではなかった。


この体験を通して三智子はOLをしていて障害になっている正社員と派遣社員との争いを解決する力も得るのだった。
あっこさんのお得意さんは皆、裏方の仕事をしている人ばかり。
つまり深夜に働いている病院の職員、新聞社や報道の仕事をしている人、私たちの食を支えてくれている市場の人達です。その日本を支えてくれている裏方さんを支える究極のサービス業だったのです。


それらの人達は三智子が普段仕事では絶対に接することはありませんね。
そんな人達に接す機会をあっこちゃんは三智子に与えたかったのですね。
そのお陰で三智子は潜在能力を発揮でき、正社員と派遣社員の仲を取り持つ力を得て、会社の上層部にも一目も二目もおかれる存在に成長するのでした。


そんな三智子を見届けたあっこさんは三智子の前から姿を消します。


でも読んでいる私はいつの日か、あっこちゃんの仕事を手伝っている三智子を予感しました。


この本が今ベストセラーになっているのは、悩める新入社員や希望をなくしているOL達がこの著書から勇気と元気を貰っているからだと思います。これも私の推定です。

ランチのあっこちゃん

今ベストセラーになっているし、NHKでもドラマ化して放送している最中だから観ている人は多いかもしれませんね。

超ベテランのハイミスのOLと新人派遣社員との心温まる交流を描いたヒューマン物語です。


あっこちゃんこと、あっこ女子は40代のバリバリのキャリアウーマンで、社長の右腕といわれる女性です。
一方の三智子はまだ20代前半の派遣されてきたばかりの女の子です。
 三智子は出勤初日からあっこ女史から驚くべきことを命じられる。
お互いのランチを交換しよう、というもの。


あっこ女史は女性ながらも営業部長。

自分はPCを扱う事務と雑用をするただのOLです。
口をきくのも恐れ多いキャリアの女部長にいきなり半命令的に要求されたのです。
三智子はお弁当持参で、あっこ女史は外食している。
そのランチを交換しようというのだった。


こうしてランチを交換する日々が1週間続く。
最初三智子は、あっこ部長の意図がわからなかったが、約束の1週間が終わって、何となくあっこ部長の狙いが分かるのだった。

 

冷たいだけの女は、実は思いやりのある温かい心の持ち主だったのだ。
私は読み始めてあっこ女史の気遣いに気が付いていました。


入社したばかりの女子社員が困ることがあります。
それはお弁当をどこで食べるかです。


私は新入社員が入ってきたら、まず、お弁当を食べているグループの中からその子に向いているグループを選び、そこのボスに仲間にして貰えるように頼みます。これは大きな問題なのです。
勿論新入社員には外食するようなお金はありません。


このあっこちゃんの会社は児童向けの図書を扱う小さな出版社だから、三智子以外は男性ばかりだったのです。
更に三智子は毎日違う食事所に行かされていて、社外の人達とふれ合いの場ができ、あっこ女史の社外の人の評判を聞き、あっこ女史の大きさを知るのだった。
これはPCを扱うだけの能しかない三智子が一回りも二回りも大きくなるのに役立つのだった。


ストーリーは2部構成になっていて、これで1部は終わりです。
2部(ディナーのあっこちゃん)はつぎの機会に紹介します。

西の魔女が死んだ

10年くらい前にベストセラーになった本です。
中学生から大人までの人に愛読されました。
著者は梨木果歩さん。
数年前に映画化もされています。
私は高校生の時に読みました。

今、児童文学が人気を集めていますね。
それでか、私は「西の魔女」をもう1度読みたくなったのです。

ハリーポッターの新作が出て、ハリポタの人気が再燃していますね。
イギリスには魔女伝説があります。


今の世の中、殺伐としていてこんなロマンに溢れた物語が人気になっているのかしら?
実は日本にも魔女がいたのだ、というストーリーは高校生になっていた私を魅了しました。

ストーリーです。
まいは中学生の女の子。
まいは、多感な子であるが故に、友達も少なく、孤独な少女だった。
まいは虐めに逢っていた。その結果登校拒否になる。

悩んだ両親は、まいを休学させて、田舎で一人暮らしをしている祖母に預けることにする。
祖母はイギリス人の血を引くハーフで、しかも魔女の血筋を持っていた。
祖母は人里離れた森の中の一軒家に住んでいた。

学校を休学したまいは夏休みを契機に、祖母の家で暮らすことになる。
こうして、孤独な生活をしている祖母と、まいの生活が始まった。

人との触れ合いが、苦手なまいだったが、祖母とは気が合い、何でも話し、相談出来る間柄になる。
悩み多き多感な女の子は、普段から疑問に思っていたことを祖母に尋ねるのだった。
何でも名答してくれる祖母だった。

ある時、まいは「人は死んだら、どうなるの?」と訊いた。
誰もが一度は持つ恐怖と疑問です。子供は特に。
「さあ、分かりません。私はまだ一度も死んだことがないので」と祖母。
私はベストアンサーだと思った。

森の中での生活は、まいには楽しいものだった。
祖母はウサギを飼っていて、まいはウサギとの触れ合いも楽しかったのだ。
そんな生活環境は、まいによい効果を与えていた。
自閉症気味のまいは明るさを取り戻して行くのです。

夏休みが終わる頃、まいの両親がまいを迎えに来る。
すっかり元気になったまいは両親に連れられて東京に帰って行くのだった。

このストーリーは、祖母の死を知らされて、祖母の家に向かっている車の中で始まっています。

まいはベッドで永眠している祖母と対面する。
ふと、窓を見たまいは驚く。
窓には水滴で何か書かれていたから。
さっきまで、なかった文字だった。
「ニシノマジョカラ ヒガシノマジョ へ
  オバアチャン ノ タマシイ、ダッシュツ、ダイセイコウ」と。

祖母は、まいに答えられられなかった疑問に、魔法を使って答えたのです。

今、この日記を書き終わったところです。清々しい気持ちにしてくれた本でした。
よい本は、何度読んでもいいもんですね